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■ 用 語 解 説 ボイド 特別解説ボイド: Void of Course: ボイドへの歴史的な理解 ボイド・オブ・コースという概念は、歴史の流れの中で少し変化をしてきた概念である。物事の完成を阻む場合も、あるにはあるが、そうでない場合も枚挙にいとまがない。その区別は、ホラリー占星術で体感してみないと、どうしようも理解しにくい概念である。 西洋占星術で使われるボイドという考え方は、9世紀の占星家であるアブ・マシャーの ITA :Grate Introduction VII.5.965-67 によれば、 下記のチャートはウィリアム・リリーのCAの152pに出て来るチャートである。クライアントの質問は、「息子は帰って来るかどうか?」というものであった。月は、ボイドに見えてしまう。
CA.152p のチャート 上記のチャート(C.A152pのもの)の月がボイドだからといって、月がサインを越えて土星にアスペクトをしに行き、それが完成されることを否定しているわけではない。月が土星とアスペクトをする時に、物事は完成する。リリーはこのチャートの説明で、月がボイドであるとは書いていない。サインを越えて土星とアスペクトをすることに主眼を置いている。 月は速く移動をする惑星なので、遠くへ出かけている息子の表示体でもある。土星は、4ハウス(家を表す)のロードであり、4ハウスのカスプの上に置かれている。まさに、家である。そこへ、月がアスペクトをするので、息子は家に帰るであろうとリリーは考慮した。又、息子は5ハウスで示され、そのロードは木星。その木星(息子)もアセンダント、カレント自身の場所に入っている。この木星の表示によっても、息子は直ぐに家に帰るのだと読めるとしている。結果はその通りであった。 “ボイドは物事を否定する” との意味合いは確かにあるのだけれども、それには様々な条件が要るのだ。その様々な条件について語るのは、難しい。常に、分かってもらえるものかと思ってしまう。 先に説明した概念の他に、次のような事柄もボイドを把握する場合には重要になる。 (1) ボイドは月だけでは無く、他の惑星もボイドになる。 下記のものはマシャ・ア・ラーの本に載っているチャートである。他のブログでは、モダンな計算結果のものも載せた。ここで、マシャ・ア・ラーは、水星もボイドであると語る。そして、病人は治る。 ロバート・ハンド氏訳の「On Reception」12pから、“The lord of Ascendant, Mercury, was void in course ... ” On Reception No.3 より (2) 同じサイン内でも、2つの惑星のオーブを足して、その端っこが届いていなかったならボイドである。太陽は片側15度、月は片側12度、木星と土星は9度、火星8度、金星と水星は7度となっている。相当広いのだが、それでも届かない事がある。間に空間ができて、それで空虚(ボイド)となる場合がある。 (3) 注目している惑星が同じサイン内で、別の惑星に、角度による角度に従ったアスペクトを完成しないなら、それはボイドである。これがボイドになるかならなかいかは、見解の分かれるところであるが、『進行方向にアスペクトを持たない』という定義に見事に合致する。 このように、ボイドの状態というのはかなりあり、月のボイドを特にうるさく言うにはわけがある。蝕と関係があるからだ。ボイドの状態が直ぐにどうのこうのというわけではない。ボイドをどう観察するか、その方が大事である。 現に、上のチャートの説明でマシャ・ア・ラーは、月は金星にアスペクトをしに行く。そして、それは効くとして話を進めていく。 ボイドに条件があるのだ。 では、何故、月のボイドがうるさく言われるのかの理由だが、他のブログでも書いているので、繰り返しになるけれども、ご容赦いただきたい。 西洋占星術は、天球構造で考えることがよくある。月下の世界(我々の世界)と言う呼び方もよくする。月の天球の上には、水星の天球、金星の天球、太陽の天球・・・星座の天球、サインの天球と続いていき、神々の采配は上から行われることになっている。 月よりも上の天球で物事が成就すると示されていても、全ての物事は月の天球を通ってやって来るので、月の天球がフィルターのような役割をすると考えていた。月の天球が乱れている、例えば、ボイドだと、物事は乱れることになる。せっかく月の天球よりも上の天球で示された事柄が、月下の世界にキチンと届かなくなるというわけだ。 それで、様々な先人達が月の天球が悪いとどうなるかを格言に残している。イタリアの占星術師ボナタスの格言を、ウィリアム・リリーの弟子(ヘンリー・コーレイ)が英文(上段)に直している。ベンジャミン・ダイクス氏のもの(下段)と並べると、コーレイの訳がはなはだしい省略にあることも分かる。 "19. The Nineteenth Consideration is, To behold the Moon, if she be "void of course," for then it signifies an impediment to the thing in question: it will not come to a good end, nor be accomplished; but the Querent shall be forced to desist with shame and loss. " ベンジャミン・ダイクス氏の訳では、こうなる。 THE 19TH CONSIDERATION is that you should look at the Moon when she is void in course: because then she signifies impediment, and that the matter the question was about, or which is begun, or which is being handled [or discussed], will not come to a good end, and the matter will be annulled, and it will not come to be nor be completed for the one wishing to do it; and that the querent will return from it empty-handed and likewise disgraced and impeded.
なんて悪く書かれているのであろうか ! 例題に出しているチャート類は、どうもボイドに当てはまっていない。いったい、本当のボイドとは何なのだろう? (息子は、チャント帰ってくるし、病人は治っている。) ボイドの事を様々な角度から検証している。 ボイドは、『物事の完成を阻む』という意味ではない。阻む場合もあるにはある。その区別はホラリー占星術で体感しないとどうしようもなく、理解しにくい概念である。 惑星達はオーブを持つ。同じサイン内でアスペクトで、あるいはコンジャンクションで相手の惑星をオーブ内で捉えていながら、完成をする時にはサインを超えることもある。他に、角度に従ったアスペクトをする惑星が無ければ、これも実は、ボイドとなる。 しかしながら、しばらくして角度によるコンジャンクションやアスペクトが完成するなら、物事も完成する。ボイドではありながら、違った場面が登場するというわけだ。リリーのCA.(クリスチャン・アストロロジー)152pのチャート通りである。 サインを超える場合には、確かにボイドと呼ばれるが、サインを超えてから、アスペクトやコンジャンクションを完成させた時に、物事は完成に向かう。とすれば、空虚(ボイド)と言えないのでは? 概念上はボイド、しかし、実際には作動すると考えていたとしか、考えようがない。 一般に、モダンな西洋占星術では、ボイドを考慮する時には、サインの端までを考慮するという規定がある。これは、明らかに17世紀の偏った概念がそのまま伝えられている。ウィリアム・リリーの自著、CA.の中での定義と同じなのだ。しかし、リリーは惑星達をサインを超えて考慮をしている。まるで、書いていることと、行っていることが違うのだ。だから、リリーを読むには年季が要ると言われる。 どのような場合にもサインの端に来たら、それでボイドだから、その先を考慮しない、ということはないのだ。サインを超えて、アスペクトなりコンジャンクションなりを完成させることで、物事の完成をみる例は枚挙にいとまがない。このことは、ホラリーを勉強すると直ぐに確めることができる。体感することがでる。 鵜呑みにしていては、いつまで経ってもボイドの意味が捉えられない。 ※参考文献 Introduction to Traditional Astrology :142p Emptiness of Couse
ここでは、月が魚の26.43度にあり、ボイドのように見える。しかし、リリーはボイドだと書いていないし、やがて4ハウスの土星とアスペクトをすると書く。 (土星は3ハウスのように見えるが、ちゃんと、リリーは4ハウスだと書いている)。 遠くヘレニズム時代(ギリシャ時代)にまで遡ると、ボイドの概念は様相を異にしている。そこでは月にのみ言われ、月の前方に30度のコンジャンクションやアスペクトをする惑星が無ければボイドとされていた。サインの境界は全く無視されていた。 ※ 参照 Introduction to Traditional Astrology :Comment of Benjamin N. Dykes :144p 7〜8世紀のアラブの占星家が残した本の中に、「荒野に居る月(ワイルドネス)」という概念がある。それに近い。占星術がギリシャで生まれ、ペルシャを通ってアラブに伝えられるどこかの段階で、経験豊かな占星術師達が、このような月のボイドでも、サインの端まででも効く場合があることを見付けたのだろう。それが定義に反映されたと考えるのが素直である。 そうで無ければ、マシャ・ア・ラーにしても、ザエルにしても、アラビアで書かれた占星術の教科書の中に、「ボイドとは、月がサインの端に達するまでに、他の惑星と接合しないこと」と書かなかったはずである。 そう書いていながら、当人達の使い方は、月を次のサインにまで動かして考慮をしている。どこかに、ヘレニズムの影響が垣間見える。じつに間尺に合わない。この時に、質問の『質』によって違うと気付いていたとは思うのだが、書かれていない。 まったく不親切極まりない書き方は、(占星術のテキスト類全般に渡って、存在しているのだが)、やはり教科書であったから、この言い方が的を得ていると思う。 経験を積めば分かってくるが、それでは失敗を繰り返す。教科書は教科書だけで、機能をしないのである。 更に、イブン・エズラというスペインに住んでいた11世紀のユダヤ人占星家は、「ボイドは、コンジャンクションなら15度、アスペクトなら6度以上、他の惑星からセパレートしていて、今居るサインの中で・・・」と書いている。他の占星家の定義とは違うので、無視しても構わないけれども、彼が何故、そう考えるように至ったのかには興味を持つ。 月が質問時に「ワイルドネス」という状態にあることは、滅多にない。私は、一度だけ経験しているが、質問が旅行に関することだったので、安心して行って来て下さいと答えることができた。ボイド等は、リラックスするにはいい時なのである。 イレクショナルなテクストでは、月がボイドの時は、お風呂に入ったり、床屋へ行ったり、美容院へ行ったり、マッサージに行ったり、恋人と愛し合ったりするにはとても相応しい時間帯なんだとある。 ※ 旅行は昔の観念では大変危険な行為であり、火星に支配されていた。今回は、1つのリクリエーション(金星)と捉えてお勧めした。 ボイドのお話をする前提条件がほぼ整ったので、中身に入っていきたい。まず、月のボイドに限定してお話をすることをご了承いただきたい。 ボイド・オブ・コースにはおおまかに2種類の状況があり、それぞれを、AとBとする。Aの、ボイドでは無い状況とは、どういう状態なのか。 A。 1.同一のサイン内で、月のオーブと近付かれる惑星のオーブを足して、 2.同じサイン内でも、月のオーブと近付かれる惑星のオーブを足して、 図 - 1 図 ―1. 月と太陽はボイドではない。太陽のオーブは15度、月のオーブが12度、足すと27度となる。両方の惑星の端っこが、互いに触れている。オーブを両手だと考えると、握手ぐらいはできている状態だと確認できる。 図 − 2 図 − 2. これはボイドである。月のオーブは12度、木星のオーブは9度、足すと21度となる。月と木星の間は23度強あるので、両方のオーブの端が届いていない。ボイドである。 これがボイドだなんて、聞いたこと無いであろうか? でも、ボイドなのだ。もちろん、ボイド・タイム表にも載せられていない。 それほど長い時間は続かない。このようなボイドは、ほとんど数時間で終わる。 更なる、ボイドの説明。
図 − 3 B。 図 − 4 図 − 4.月の前方にサインの終端がある。順行している惑星があるけれども、ボイドとなる。月のオーブ(12°)を、越えてしまっているからだ。 ボイドである。ザエルの言うように月のオーブを考慮すると4度まで届くだけなので、木星にまで彼女の光は届いていかない。木星のオーブはこの時、(サインの境界がある為に)順行方向だけを考慮する。サインの境界は、考慮されるのである。
図 − 5.月の前方にサインの終端がある。月のオーブを越えて惑星がある。しかし、その惑星が逆行していれば、「近付く方の惑星のオーブは考慮できる」ので、再び、考慮ができる。概念上はボイドで、機能はするという何とも不思議な光景となる。体験するしか、実感が湧かない。 木星と月は、図 ― 4と同じ位置のチャートだが、この木星は逆行をしていて、そのオーブは逆行方向に展開されている。従って、月のオーブと木星のオーブは、光で絡み合い始めている。 いよいよ、ボイドの話も大詰めである。ここで、またしても、耳を疑うようなお話をしなければならない。 「月のボイドは、サインの端までを考慮する。それまでに、月が他の惑星と である。えっ? アブ・マシャーやリリーの定義通りじゃないか! そうなのだ。これが効く場合があるのである。これこそが、文中に既に出てきた、質問の『質』に依存するという意味である。ホラリー占星術というのは、 質問の『質』に依存する占いなのだ。 何を言っているのかというと、質問の種類によっては、惑星達をサインの端を越えて考慮をしない場合が出てくると述べている。例えば・・・ スポーツの試合、 世の中には、時間に期限を設けられた事柄が、山のようにある。そのような場合のホラリーの質問では、全ての惑星に付いてサインの端を物事の期限と看做して判断をする。 そうすると、アブ・マシャーやリリーの述べた、定義通りのボイドが出現することとなる。 ボイドの項目を書くにあたって参考にした文献類は下記。参照ページも載せているので、ぜひ紐解いてみて頂きたい。 ※参考文献
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日本の西洋占星術が大転換する時期に |